江澤健一郎『中平卓馬論 来たるべき写真の極限を求めて』(水声社、2021年)
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江澤健一郎『中平卓馬論 来たるべき写真の極限を求めて』(水声社、2021年)

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判型:A5判変型上製 頁数:213頁 定価:3000円+税 ISBN:978-4-8010-0540-2 C0070 造本:宗利淳一 写真をめぐる、記憶の断裂と連続 1960年代から写真家、そして批評家として注目を集める存在となった中平卓馬(1938-2015)。初期から晩年までの撮影行為と執筆活動の軌跡をたどり、《記憶》を鍵に写真が存在する地平そのものの条件をラディカルに思考する、出色の写真論。 《撮影行為とは、写真家にとっては不測の、望外な現実との出会いであり、自分があらかじめ抱いていた意図、既存の価値観はそのとき払拭されなければならない。そのように中平は、一人称的な不動の視点が、写真において崩壊することを要請する。ならば写真家は、記憶喪失者のように自己を忘却しながら撮影を行うのだ。そうして自意識を解体して非我となり、他者となること、中平はそれを要請していた。(……)ここで問われているのは、記憶喪失「である」ではなく、記憶喪失に「なる」生成変化である。そして実際に中平は、その後、事故が原因で癒やされぬ記憶喪失者になった。しかし、そうして記憶を失った彼もまた、やはり撮影をしながら、さらに記憶喪失に「なる」ことを繰り返していたのではないか。われわれは、これから中平の撮影行為と執筆活動を初期から最晩年までたどりながら、その軌跡における断裂と連続性を検討していきたい。》(「序」より) 【目次】 目次 序 第1章 アレ・ブレ・ボケから自己批判へ 1. 『プロヴォーク』創刊 2. アレ・ブレ・ボケ 3. ウィリアム・クライン 4. 気配で撮ること 5. 記録写真の系譜 6. 中平の記録論 7. たしからしさの「風景」を引き裂く 8. 記録論の転換 9. 意識産業批判 10. デノテーションとコノテーション 第2章 植物図鑑という概念と写真 1. 事物の視線 2. 植物図鑑 3. 決闘写真論 4. 沖縄、奄美、吐噶喇、そして他なるもの 第3章 記憶喪失になること 1. 私とは他者である 2. マイナー写真 3. 写真の構成 4. われわれは記憶喪失になる あとがき――本書への軌跡 註 主要参考文献 【著者について】 江澤健一郎(えざわけんいちろう) 1967年生まれ。専攻、フランス文学。博士(文学)。現在、立教大学兼任講師。主な著書に、『バタイユ−−呪われた思想家』(河出書房新社、2013年)、『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』(水声社、2005年)、『中平卓馬−−来たるべき写真家』(共著、河出書房新社、2009年)、主な訳書に、バタイユ『ドキュマン』(2014年)、『有罪者――無神学大全』(2017年、以上、河出文庫)、『マネ』(月曜社、2016年)、ディディ=ユベルマン『イメージの前で――美術史の目的への問い〈増補改訂版〉』(法政大学出版局、2018年)、ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局、2006年)などがある。